重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

日本語を勉強している外国人です。下記の文章に困惑しています。

大人でもできないのだから、ましてや子どもなんかにできるわけがない。
大人でもできないのに、ましてや子どもなんかにできるわけがない。

ネイティブに聞いたところ、どちらも同じように使えると言われたのですが、なぜ順接の「のだから」と逆接の「のに」とで同じ意味になるのでしょうか?

また、有名ないろは歌の現代訳として、下記のようなものがありました。
色鮮やかに咲き誇る桜の花でも、散ってしまうというのに  
この世で誰が、永久に生きるというのだろうか。…

ここでも「というのに」を「のだから」と言い換えることができるでしょうか?「のに」は普通、even though,despiteといった意味合いになるようですが、ここでは私にはどうも違和感を覚えます。このあたりについて、もし分かっていればぜひ教えていただきたいです。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    いろは歌原文「散りぬるを」での「を」は逆接とされてるらしいのですが、もし置き換えることができれば何をもって逆接なんでしょうか?

      補足日時:2025/04/09 20:30

A 回答 (9件)

「接続助詞」と呼ばれるやつの話ですね。


 「〜のに」が逆接だというのなら「〜ものの」も逆接だ。そこで
○「大人でもできないものの、まして子供なんかにできるわけがない」
とやってみると、これは日本語の文として成立しない。
 するとどうやら、
○「大人でもできないのに、まして子供なんかにできるわけがない」
は逆接ではなさそうだ。

 意味の観点では、「大人にはできない」から「子供にはできない」は導けないから、
○「大人でもできないのだから、まして子供なんかにできるわけがない」
○「大人でもできないのに、まして子供なんかにできるわけがない」
はどちらも論理的推論(reasoning)として成立していない。不完全な論証をやっているだけなので、あまり良い例ではないでしょう。

 そこで、もうちょっと整理したい。(a)「できるためには力が大きいことが必要である」および(b)「子供の力は大人の力より小さい」を暗黙の前提条件として認めるのであれば、「大人の力ではできない」から「子供の力ではできない」が論理的に導ける。こちらでやってみると:
○「大人の力でもできないのだから、まして子供の力なんかでできるわけがない」
○「大人の力でもできないのに、まして子供なんかの力なんかでできるわけがない」
となる。両方とも過剰にごちゃごちゃしているのが気になります。
 そこで「まして」「なんか」「わけ」を取り除いた単純な形から始めましょう。
○「大人の力でもできないのだから、子供の力ではできない」
○「大人の力でもできないのに、子供の力ではできない」
となる。すると、前者は成立し、後者は成立しないことがはっきりします。

 前者が(簡潔で明確な)文として成立するのは、これが(暗黙の前提(a)(b)を認めれば)論理的推論になっているからでしょう。

 後者をちょっと直して:
○「大人の力でもできないのに、子供の力では到底できないだろう」
○「大人の力でもできないのに、まして子供の力ではできないだろう」
とすれば成立する。これらは論理的推論ではなく、推定をやっているだけですから「だろう」が不可欠です。なぜ、スッキリと論理的推論にしないのか。それは暗黙の前提(a)(b)が明確な共通の認識だとは前提できない(大抵は、発話者自身が混乱していて(a)(b)を明確に言語化できていない、あるいは発話し始めてから前提条件が足りないことに気づいた、という)状況だからでしょう。
 さらに主張の弱さを繕うために「到底」だの「まして」だのが欲しくなる。「到底」や「まして」は「明言すると破綻してしまいそうな弱い理由の存在を暗示するための(すなわち、推論を自分では行わず、かつ、聞き手が疑いを持たないよう誘導する)強弁の言葉ですね。
 一方、
○「大人の力でもできないのに、子供の力でできるわけがない」
としても成立する。こちらは「子供の力でできる」かどうかを直接論じるのではなくて、「わけ」が存在しない(子供の力でできるという論証は不可能だ)ということについて述べている。論証の不可能性を論証しよう、という間接的な(しかし不完全な)論証です。 

 というわけで、「のに」が使われるのは、論理的推論としては成立しない、つまり瑕疵のある論証を述べる場合らしく、しかもイロイロな要素を付加して整えないと文にならない…という、どうもそういうことらしいですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

論理的推論と不完全な推定のところまでは、考えが及びませんでした。いろは歌の例では、「というのだろうか」の反語によって前後の因果関係は一層曖昧になり、結果として「のだから」は座りが悪くなる、ということですよね。ご回答のおかげてすっきりしました。基本的な文から丁寧に一つずつご説明いただきありがとうございました。

お礼日時:2025/04/14 19:35

>いろは歌原文「散りぬるを」での「を」は逆接とされてるらしいのです


・・・らしい、
もし・・・・・れば
まともに受け取って考える必要を感じません
ネット情報当たりではフェイクすらあり得ます
「らしい」と「たら・れば」まさに等差級数どころか等比級数の世界。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご親切にありがとうございました。日本語表現のニュアンスのあたりは細かいところまで理解してないものですから、不自然な表現や誤解を招いてしまうところをご容赦ください。

お礼日時:2025/04/14 19:01

逆接、と言える効果は?


「ましてや子どもなんかにできる」
ここまでなんです。
「そんなはずはない」
いったん逆接で接続したうえで否定しています。
裏の裏をかけば、なんのことはない、正攻法と同じですね。
    • good
    • 0

>>順接の「のだから」と逆接の「のに」とで同じ意味になるのでしょうか?



「から」は順接の接続助詞ではなく、理由・因果関係の認識を表す格助詞です。順逆を表しているのではありません。

「のに」は、ここでは逆接の意味で使用されていますが、「から」と同じ意味ではありません。つまり、「から」と「ので」は捉え方が異なり意味が異なるので順逆の接続助詞などと単純に考えるのは誤りです。

 * みごとな出来ばえな【のに】、観客もすっかり感動している。
では、「なの」で断定を加えながら影響を取上げ、順接になっています。

また、山男が岩登りの経験を語って

 * 頭の上の大きい【のに】、やっとすがりついた。

と、「の」で「頭の上の大きい」を実体として捉え、到着点の目標としての意識を「に」で加える場合もあります。「のに」を一種と見て、これは<接続助詞>で一語だと解釈したのではこれを説明できません。

>>色鮮やかに咲き誇る桜の花でも、散ってしまうというのに  
この世で誰が、永久に生きるというのだろうか。…

ここでも「というのに」は逆接で使用されていますが、「のだから」は理由を述べており、「のだから」と単純に置き替えることはできません。■
    • good
    • 1
この回答へのお礼

確かに順接や逆説だけでは誤解されやすいですね。ご親切に教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2025/04/14 19:07

面白い問題です。

「わけがない」の範囲が違うと考えればいいです。
大人にできない−○→子どもにできるわけがない
(大人にできない−×→子どもにできる)わけがない
    • good
    • 0
この回答へのお礼

つまり否定文のスコープのことですよね。ご返答によって、新たな視点が開けた気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2025/04/14 19:09

日本語の順接逆接は難しいですね。

特に逆接は、そこでいったん休止して思いを込めるぐらいの場合が多いかなと思っています。つまり詠嘆かな、と。
ご提示の「を」も同様です。
https://www.try-it.jp/chapters-14470/lessons-147 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。確かにそうなんですね。

お礼日時:2025/04/14 19:01

「のに」は逆説だけに


使われるものではありません。

>(ロ) 逆接的な意のない場合にも用いられることがある。
>[初出の実例]「併(しかし)お前は上品だのに
>肌目が細かひから、汗なんぞをおかきではなひネ」
>(出典:人情本・英対暖語(1838)
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%AB-5971 …

こちらの例文もご覧ください。
>のに を英語で訳す
https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/%E3%81%AE%E …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

のにの用法について教えていただきありがとうございます。

お礼日時:2025/04/14 19:10

残念ながら「のに」は接続詞には、該当しないようです。


当然、逆接はあり得ません。
多分準体詞「の」+助詞「に」に該当するのでは?。
【大人でもできない】これを「の」で体言化→体言に準じる扱い(名詞扱い).
助詞「に」の説明はいろいろありますが「根拠、原因」を表すとも説明されます。
大人実現不可(一応熟語である以上名詞扱い)、に、ましてや子供・・・
>「のに」は普通、even though,despiteといった意味合いになるようですが、
>なるようです
「ようです」曖昧な知識のままですね。どこで仕入れた知識?まさかネット情報では?
「のに」ではなく「の」+「に」なので、とても同意はしたしかねます。
>ここでも「というのに」を「のだから」
「と」+「いう」+「の」+「に」
「の」+「だから」→「だから」は順接の接続詞
対比するなら
「のに」と「のだから」。
どちらの場合も「の」は準体詞。
不可能ではありません。
    • good
    • 0

「大人でもできないのに」のほうがよく使われます。



この場合の「のに」は「のにも関わらず」の略で、「大人でもできないのにも関わらず、ましてや子どもでも出来る…というわけがない」という意味です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2025/04/14 19:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

OSZAR »