
召集令状(赤紙)が届いた時の感想について質問です。
現代人には、その心中は測りかねるものがありますが、実際に赤紙が届けられて、戦地に行く本人及び家族は本当はどのような気持ちだったのでしょうか?
よくテレビなどで見るのは、「ありがとうございます」と言って、受け取るシーンなどを目にしますが、心中はどんな気持ちだったのか…と考えてしまいます。
戦前や戦時中は、学齢期から軍事教練なども施されていたそうですし、陸軍大将や海軍大将などは子どもたちの憧れの的だったという話も聞きますので、現代とは感覚的な下地が全く違うとも思います。
しかし、「醤油を飲んで痩せて不健康になり、兵役を免れようとした」という話もあるので、勿論、人によって感じ方は違うとは思うのですが、やはり建前と本音があるのかなぁ…と考えてしまいますね。
私の親類は、生きて還った者は皆無で戦死をした人たちが沢山いるので、戦後70年の節目の年に知りたくなりました。
これから、貴重な戦争体験者の方々はますます少なくなっていくでしょうし。
実際に戦地へ行かれた方、お父様や親戚の方々からお話を聞いた事がある方、事情に詳しい方がおられましたら、思い出話しでも結構ですので、ご教示頂ければ幸いです。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
徴兵、あるいは召集に対する心情というのは、現代の市民感覚で推し量れないものがあるとおもいます。
つまり、当時は徴兵令が存在し、小学生のころから「教育勅語」のなかの、「一旦緩急あるときは義勇公に奉じ天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と唱え、死んでもラッパを離さなかった木口小平の話を教わり、『広瀬中佐』の歌を唄って育っていましたから、いずれは軍人となって功を挙げる、お国のために名誉の戦死を遂げることにさしたる抵抗を覚えず、なんとなくそれが当たり前の世相で、表立って反戦を唱えるような時代ではなかった、ということです。
かつて『拝啓天皇陛下様』(監督:野村芳太郎)という映画がありました。そのなかで渥美清扮する山田庄助は、「三度の飯が食え、風呂にも入れる軍隊は天国じゃ」というほどの貧農出身者でした。いっぽうで、長門裕之扮する棟本は、召集令状が届いたとき、妻とともに震えるほどショックを受けました。
その原作者、棟田博による『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』(番町書房・昭44)から引用しますと、
>兵隊たちは徴募されると観念して(あるいは張り切って)入営し、所定の教育を受けることに精励し(あるいは精励させられ)、三年制、あるいは二年制の兵役を終ると除隊していった。戦争がはじまるとまた召集され、観念して(あるいは勇躍して)戦場へ赴き、いったん戦場に赴くと驚くべき勇武を示した。
>兵隊たちはつねに「お国のため」という合言葉を信条として、非条理な軍隊内務生活に耐え、また過酷な戦場を生き、戦ったのである。「天皇のため」というもっともらしい押しつけの修飾語は好まなかった。がまんして聞き流していたか、出世のための手段として同調したかである。(中略)「お国のため」という言葉には覚悟と諦観が同時に存在し、またその言葉の裏には「おふくろのため」「好きな女のため」という兵隊各自の解釈による思いがかくされていたのである。
>「国のため」ではなく「お国のため」という敬語の中に含まれる兵隊の微妙なニュアンスは、たぶん「お国のため」に働いた者でないと、実感的にはわからないかしれない。平穏無事、気ままな生活をすてて、軍隊生活をさせられることは、大半の人々にとっては少なくとも厄介なことではあったろう。
また、或る遺族の手記を引用いたします(具体名は省略します)
>私の七人の子供のうち、六人は幼少の頃死亡しただ一人の男の子○だけが無事に成長しました。私の跡を継ぐべく、○○農学校を卒業して農事に励んでおりました。当時入営は男子の本分というわけで、剣道のけいこで気力体力を鍛え、軍人勅諭を暗誦しては精神を練っておりました。その甲斐あってか徴兵検査は甲種合格、一八年四月に喜んで○○部隊へ入隊しました。健康でしたので、日頃の鍛錬を生かすのはこの時とばかり精励した模様で、第一期検閲には中隊長から褒賞を貰ったよと勇み立っておりました。折から戦局は日増しに急を告げ八月には愈々壮途につきました。○○駅頭で「身体を大切に」と別れたのが最後でした。戦地から三通の便りが届きましたが、いずれも私たち両親の安否を気遣ってくれる気持ちがあふれていました。私共も蔭膳をすえ、氏神様に日参して武運長久を祈っておりました。然し、○は遂に国に殉じました。戦死の広報を受けた時は、恥ずかしながら足許が崩れる思いがして全身の力が一ぺんに抜けてしまいました。泣いてはならぬと自分を叱っても、人気のない時は泣けてくるのをどうしようもありませんでした。だが、月日が経つにつれて、死んだ○の気持ちを考えるようになりました。大戦の前途に備えて青年の務めを果すべく心身鍛錬を怠らなかった○、そして勇躍征途に立っていった○、恐らく彼なりに誠実に務めを果してくれたであろうと考えた時、私共がいつまでもめそめそしていては○の霊に済まない事だと考えるようになりました。
ご回答ありがとうございます。
やはり、昔でも建前と本音があるのですね。
色々と勉強になりました。ありがとうございます。
自分なりにも今後も知識を深めていくため、勉強を続けたいと思います。
No.1
- 回答日時:
当たり前ですが、大多数の人(99%以上?)は、召集令状が来て「嬉しい」と思うわけがないでしょ。
本気で軍人になって出世したい人は、志願するなり軍学校に行って職業軍人になるわけで。召集令状が来るってことは、職業として軍人を選ばなかった(他の仕事を選んだ)人ですから。
こんなことは当たり前で、だからこそ、出征者を町中で見送ったり、満期除隊した人に町中でお祝いする、とかあるわけで。
ご回答ありがとうございます。
やはり、昔でも建前と本音があるのですね。
軍隊生活は厳しいですし、確かに嬉しいはずがないのかもしれません。
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